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てぃだかんかんを見て読んだ
2010.05.07 (Fri)
GW中にママンが見たいと言うので、「てぃだかんかん」を見てきた。
ちなみに本も勧められたので読んでみた。
実は原作者でありサンゴの養殖を実践している金城さんは母親の教え子だったりする。
映画を観たあとに本を読んだのだけれども、少しだけmixiレビューで他の人の感想をちらりと読んでみたところ、「何でサンゴを養殖することが海を綺麗にすることに繋がるのか、わかりにくい」と書いてあったりした。

沖縄の人にとってサンゴを守る=環境保護という概念がほぼ当たり前のものとなっている。
開発で山を切り崩し、赤土が海へ流れてサンゴや魚たちが生きられなくなる、というのは小学生のときから繰り返し教えられているからだ。それが映画では見えにくいという意見が出てくるなんて、うちなんちゅは夢にも思わないかも知れない。
本ではその辺についてもうちょっと触れていたように思うけど、映像だともう少ししつこくやらないとわかりにくいということかな。確かに、サンゴが身近にない人にとって、「海の生き物が好きな主人公がどうしてサンゴだけに拘るのか?」ということが伝わらないと、非常に眠たい映画ではある。

これ今の基地問題にも重なるんだけど、概して「沖縄の声って届きにくい」。環境自体が独自なものである宿命だ。そもそも地理的にも遠いし。
わかりにくさゆえに何度も何度も細やかなアプローチが必要。であるならば映画制作者は原作に忠実になるよりもこの作品のキモである「サンゴの大切さ」をクワッ!!と押し出すべきだったのである。

そもそもサンゴに親しんでるうちなーんちゅや海人だって、金城さんの養殖話に最初は無理解一点張りだったのだ。サンゴの養殖は木を植えるのとはちょっとちがって、「何で?」がわかりにくいもの。その辺を理解してもらうことからはじめなければ、沖縄のガラパゴス化に拍車がかかるだけじゃないのかなーと。

というか、もうコレだから邦画は嫌やって感じの映画であった。
のだめをドラマ化したときにテレビ側が提示した「クラシックの解釈」を見せられたときくらいに憤慨した。

映画では普遍的なテーマを押し出していた。つまり、「夢を諦めるな」ということであって、何があっても諦めない過程をドラマチックに描く。だから詐欺にあって500万を返さなきゃいけない、というシーンでも実話ではツテを頼りまくって期日にちゃんと返済したのにもかかわらず、映画では間に合わなくて業者に頭を下げるというシーンに変えることで「夢を実現する辛さ」を押し出している。

というマスメディア的な切り取り方を非難するつもりではなかったんだけど、なんでここだけでこんなにタイピングが進んでいるのか、自分でも分かりませんw

まあともかくそれだと、この作品が「夢を諦めるなシリーズ」の1作になってしまうおそれがあって、肝心な「サンゴの養殖を理解して貰いたい」という訴えはおいてかれてしまう。次の「夢を諦めるなシリーズ」新作にとってかわられるだけである。自己啓発映画みたいな。ブームかっていう。

そしてよく邦画で思うんだけど、カットの切り替えとか些細な演出がどれも漫画っぽい。楽しければ良いじゃないかという意見を否定するわけではない。だってそれが楽しくないんだもん><

私は常々沖縄嫌いを叫んでるんですけど、なんか日本人嫌いなのかもしれないと思ってきた。。。同族嫌悪?それとも外国(アメリカを除く)崇拝のどちらか。

そんな私ですがサンゴの産卵の様子は感動。あれは実際に金城さん側が撮影したものだそうで。思いっきり卵であふれていくので「CG?」と疑いそうになったほど。いや疑ってしまいました、ごめんなさい。あんな風に綺麗に見えるなんてサンゴすげえな!と素直に思いました。ホラ沖縄嫌いだけど私、The Coralのファンだし(?)

著者の思惑というものは、今までしてきたことの辛さに同情してもらうことではなくて、サンゴが亡びたら海が綺麗じゃなくなるという関連性と、あとはこっそり(お金無いんです)ということだと思う。サンゴの必要性がうまく伝わることが出来なかったのならば、それは非常に残念なこと。それを盛り込みすぎるとつまらなくなると思ったのかなあ? 無駄に滑稽な場面を継ぎ足すほうが面白くない。面白いって笑えばいいってことではない。私は堅すぎるのかも知れないけど。
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続・備忘録
2009.10.08 (Thu)
ま、まだまだ読んでます。
しかし感想をかくってけっこう体力を使うのだよね。

オードリーとフランソワーズ 乙女カルチャー入門:山崎まどか

「オードリー」はヘプバーンで、「フランソワーズ」はサガン。
乙女が憧れる存在だけど、メジャーすぎってだけで敬遠してない?っていう意味をこめたタイトルです。
2002年に出版されたのですが、内容をみると、昭和のおくゆかしい少女漫画が読者に語りかけているような、なんつうか、もっとさかのぼって「明星」とかゆってミュシャの絵を模したものを表紙にしちゃってるような、あのニュアンスです。
乙女カルチャーと名言しているとおり、本、映画、音楽、カフェなどなどいわゆる「乙女」が好きそうなものたちをちりばめたお喋りのようなカタログ本。著者の山崎さんは乙女のイメージを払拭すべく、自らこう定義しています。
本当のところ、乙女は感傷的でか弱いのか? というと、矛盾するようだけど、真の乙女というのは「男気」なものです。これは「女々しい」という形容詞が男子のみに用いられるのと同じく、逆接です。乙女は世間の常識より自分を基軸にして平気で暴走します。その暴走は男子には理解不能でロマンティックに映るかもしれないけれど、「アンナ・カリーナのファッションが可愛いからゴダールは好きだわ」なんていうのは暴走の内に入りません。(13-14)
と、まあこういう感じの口調で、怒濤の乙女情報を次々に出してくるストックに圧倒されます。フェミニンが転じてフェミニズムのような感覚をもってしまうくらいに排他的な世界ですが、「女の子」をつきつめていったら、どの表現でも「箱に閉じこめる系」になってしまうのが世の常なのかもしれません(ヴァージン・スーサイズのイメージ)。「男の子」をつきつめていったら「マニアック」になるのと同じで。
でもつきつめてる人はきっと人生楽しいんだろうねえ~

山崎まどかさんはブログもやってますね!
http://romanticaugogo.blogspot.com/
ちらっとみたらVampire Weekendの新曲の記事があった。笑 へえ、賛否両論なんですね、知らなかった。私はすでにヘビーローテーションしちゃってるんだけど。


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長めのいい部屋:フジモトマサル

E.M Forsterをかじってるものだから、市立図書館でみつけてビビっときて読んできた(フォースターの作品に「眺めのいい部屋」というものがありますw)。
大人の絵本とでもいうのでしょうか。かなりツボったー!
シロクマ、ペンギン、猫、ライオンなどが二足歩行で、ふつうに人間といっしょに暮らしている世界の小話で、あんまりはっきりとしたオチがないのでゆるゆるです。
ペンギングッズを集めているシロクマが、街でペンギンに出会って夕食に招かれるのですが、そのときにちゃんとワインを持って行ってお邪魔するところとか、小ネタがしっかりしている。笑
どの登場人物も生活感があってかわいいです。
でもただほのぼのしてるわけじゃなくて、ちゃんと社会を描いてるからハッと気づくことがあったりして、本当に面白い!
絵本のタイプは絶版になって文庫で売ってるのだそうです。図書館では絵本タイプだったよ~♪


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大人のいない国:内田樹、鷲田清一

上二冊とはガラリとかわりますが。
今の社会は大人がいなくて、子供と老人しかいないというおふたりの考え。だんだん日本が子供っぽくなっていることを危惧する対談と、それぞれのエッセイがおさめられた本です。
というわけで、ごった煮状態のうえに文字量が圧倒的に少なく(この2人にしては)、ひとつひとつのお話が飲み込みにくいなあーと思ったのは新聞向けに書かれたエッセイであることと、出版社がプレジデント社のせいだということにしておこうと思います。いえー!

知識人の共通理解として「単純に二項対立でものを捉えるマスメディア批判」があげられますね。
最近書かれる本はみんなおなじことをいってるように思います。
それがとどかないんだなあ~!
あと個人単位でものを考えることの危険性、でしょうか。アメリカから入ってきた個人主義のグローバリズムがいけないのよ、と語る内田さん。その論点ではかならず就職活動の「自己実現」を理想にあげる傾向を例にあげられるのですが、何度頷いてきたことでしょう。笑
「個人と他人」「敵と味方」そういうふうに簡単にわけることは、何のメリットも産まないと私も思います。そういう思考ルールに組み込まれていくのをやめて、すっと遠くから眺めるという選択肢を持つことが重要なのだと。
ほんとうの知性、ほんとうの思考力というのは、第三の位置にどうとどまりつづけられるかにかかっているとおもう。教育においても、ケアにおいても、いやいや政治においても(1は与党、2は野党)、ほんとうの思考が立ち上がるのは、弁証法(正・反・合)の「合」のように、正・反を調停したり総合したりするのではなく、正・反の二項的な対立の外に出ようとするときだろう。(97)
まとめるとパラダイムシフト、なのでしょう。

鷲田さんの文章は感触が柔らかで、いいですね。内田さんはそれよりもうちょっと弾力性があるので、ぜんぜんちがって楽しめます。
        
   
レッツ備忘録
2009.10.08 (Thu)
読了メモメモ。


思考の補助線:茂木健一郎

茂木さんの本って、本屋にいくとだいたい「脳にいいことだけをやりなさい☆」とか「ナントカ勉強法」みたいな本しかないし、テレビではニコニコ笑いながら脳を持ってて、たまに「この感覚は脳のこの部分をつかってるんですよ」と説明しているわけだけど、それらはぜんぶお仕事のためのフェイクな茂木さんであるんではないかなと、この本を読んで思いました。
本当はもっとパンクな人であると。笑

彼のなかでいちばん許せない部分は、学問の分野が細かく専門化しすぎてしまったことで、ひとりでひとつの分野さえカバーすることが出来なくなってしまったことなんだそうです。茂木さんが脳科学者であっても、自分の専門分野以外のことを深く知ろうとしても情報が多すぎるんだとか。
特に思想界で知の断片化が進んでしまっていると茂木さんは嘆きます、そう、この本ではずっと嘆いてるんである。鼻息荒く「もっと世界全体を引き受けたい」と書き付ける茂木さんの前には、相当険しくて長い道が開けているんでしょう。おお、おそろしい。

しかしそんな一方で、世間は「分かりやすい本」がベストセラーになったり、頭を使わない娯楽が増えたことで、世の中を簡単に区別したがる傾向にあるのだと言います。必死に頭をつかうことで得られる脳内快楽は、そんな単純な世界の比ではないし、そもそも人間は快楽主義者なのに、そんな傾向になるってどないやねん!とここでも息巻いています。たぶん、そういう感覚が茂木さんに「ナントカ勉強法」を書かせたのでしょう。ともかく知る楽しみを分かって欲しいという主張があるから、研究者として自分の世界に引きこもらず、めんどうなテレビの世界にも出てるのではないかしら。
とりあえず、だいぶアツイひとだと分かって良かったです。笑 読むの疲れたよ!


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「わからない」という方法:橋本治

橋本さんは、これが初です。内田樹さん経由でものすごく体力のあるひとだというのをきいていたのですが、ホントでした。ぜいぜい。
橋本さんは著作にさまざまなジャンルがあり(元々イラストレーターで小説家になり、編み物の本まで書いてしまったそうです)、なぜそんなに多くのジャンルをこなせるのかというと、それは「わからない」ことを「わかろう」とした結果なのだ、といいます。
「わからない」をスタート地点とすれば、「わかった」はゴールである。スタート地点とゴール地点を結ぶと、「道筋」が見える。「わかる」とは、実のところ、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。(12)
これだけみると当たり前のようですが、世の中にはすぐに「わかった」というゴール地点にいきたがる人がおり、結局は「正解」だけを集めて何がわかったかをわかっていない、つまり何もわかっていない状態になってしまうのだと。これと同様に丸暗記という行為も「身体性をともなわないもの」として橋本さんは(゚⊿゚)イラネと言ってるわけであります。

実際に男性に向けて編み物を説いた本や、枕草子を現代語訳(それも女子高生風に)したときのエピソードで、どう「わからない」を「わかる」に変えていくかを説明してくださるんですけども、くどい。かなりくどい。笑 なぜかというと橋本さんの設定した「わからない」は本当に何にも知らないという意味なので、小学生に分からせる勢いのしつこさがあるわけです。そして、そのしつこさを甘くみちゃいけないぞーと頭でっかちなひとに注意しています。
「わからない」とは、たとえば、「人に”小学生になる必要”を教える事態」である。それを「いやだ」と言う人はいくらでもある。「自分の積み上げて来たものをわざわざ解体する必要なんかない」と思う人達はいくらでもいる。そんな人達にとって、「過度のわかりやすさ」などというものは、不必要で不愉快で拒絶したいだけのものなのである。(95)
マニュアル通りでなく、自分で経験したものとして培うことで身体的に「わかる」。これをやるには、体力がいります。だけどそうやって経験してみることで、見慣れたところに新しさを発見できるそうです。現代人は怠けてばかりいて!と橋本さんも思ってるのかも知れません。
んで、そうやってしつこく粘り強く挑戦して、出来上がった枕草子の現代語訳はコレ。
「夏は夜よね。月のころはもちろん。闇もねェ・・・・・・。蛍が多く飛び交ってる---あと、たった一つ二つなんかがぼんやり光ってくのも素敵」
なんか楽しそうですね。。。
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